コロナウイルス対策・一斉休校要請―「政治判断」の危うさー 

政治的判断とは、とても便利な言葉の様です。政治判断の裏には様々な要因が覆い隠されて、どの様に歩き出すかわかりません。今までの現政権由来の出来事が、政治判断で処理されてきたのではないかと思います。現時点までの事実としてのデーターや分析、専門的考え、学校現場の考え、官僚の考え、を飛び越え、多分、現政権の閣僚の頭を飛び越えてなされた政治的判断の様です。

昔、満鉄調査部が日米開戦を否としたレポートが、無視されたか握りつぶされたかしたようですが、これも政治的判断によるものと違うのでしょうか。

参考として

2/28(金) 13:33在英国際ジャーナリスト木村正人氏寄稿のyahooニュース

「新型肺炎「日本は感染症と公衆衛生のリテラシーを高めよう」免疫学の大家がPCR論争に苦言」のなかで、

「英首相官邸筋に「新型コロナウイルス対策を教えて」「ロンドンに東京五輪を代替開催する準備はあるの」「イタリア便はどうするの」と尋ねても「科学や医学に従って計画を実行に移すだけで政治や官僚がうんぬんする余地はない」という答えが返ってきます。」

とありました。

 

ある条件下では政治的判断を避けるというシステムが確立されなければ、ならないと思います。今回の政治的判断が、結果として正しくあっても、間違えであっても、無批判に許容すべきではないと考えます。

無批判に許容してしまえば、どんな政治的判断でも、閣議決定で正当化されてしまいかねません。今回の子供のためにと言う政治的判断は、この政権の緩やかな独裁化を完全独裁政権として完成に向かわせるための手段になりかねないと危惧します。

休校要請:7つの素朴な疑問

読売新聞オンラインの記事によると、2月27日安倍首相は

「、、、政府としては、何よりも子供たちの健康、安全を第一に考え、多くの子供たちや教員が日常的に長時間集まることによる感染リスクにあらかじめ備える観点から、全国全ての小学校、中学校、高校、特別支援学校について、来週3月2日から春休みまで、臨時休業を行うよう要請する。」と、小中高の学校に要請しました。

28日の東京新聞には、「何よりも子どもたちの健康、安全を第一に考えた」と強調。とありました。

休校要請は最善の策でしょうか。

ひねくれた嫌な考えかも知れませんが、今までの事から素直に考えられないのです。

これまでの出遅れ感に対する、焦りを感じないとも思えません。

疑問① 誰もが反対できない言葉、{何よりも子供たちの健康、安全を第一に考え}、を使って、点数を稼ごうとしていないか。子供の政治利用と云えないかな?

疑問② 各地域の首長、各分野の専門家や現場を知る人の意見を広く集めての決断と要請なのか、唐突な要請と云えないのかな?

疑問③ 長期休校にして、親も一緒に休んで、社会生活が維持出るものなのかな?

疑問④ 子供の行動は、親や大人の想像を超えたものがありと考えています。  それからすると、一か所に集まっていることによる感染リスクがあっても、一か所で管理、防御手段がとれる学校と、親が一緒に休めないことで、子供を休校にして子供を朝から夕まで無管理状態にしておくことと、とどちらのリスクが大きいか考えての事なのかな?

疑問⑤ データーとしては高齢者を標的としたようなウイルスです。                子供を守るのであれば、親や現役の社会人を高レベルで守ることの方が、教育現場も、社会活動も守ることが出来るのではないかな?

疑問⑥ 読売オンラインによると、「行政機関や民間企業等には、引き続き休みが取りやすくなる環境を整えて頂くとともに、子どもを持つ保護者の方々への配慮をお願いする。こうした措置に伴って生じる様々な課題に対しては、政府として責任を持って対応していく。」と発表していますが、                                     どのような責任と対応を取ってくれるのだろうかな?

具体的に説明があれば良いが、。これまで責任を取ったことが無いような政権なので心配します。

疑問⑦ この日本にもっと賢い人材がいないのかな?

この日本にはもっと知恵のある人材がいないのかな?

これが最大の疑問です。

賢い人材、知恵のある人材がいても使わないのではないか。

真に賢い人材、知恵のある人材は、嫌いなのかな?

権力に忖度しないので、権力が望む意図通りに動いてくれないからかな?

 

素朴な疑問と人間の功名心

新型肺炎の対応に素朴な疑問として、先日16日に掲載しましたが、今日までの報道は、素朴な疑問を裏付けるような事実が見えてきて、疑問を持っても無理が無いよ、ということを知らせているようでした。

安倍晋三首相は2020年2月16日、感染症の専門家が集まる会議で「高齢者や基礎疾患のある人らが確実に必要な診療を受けられるように、国民に分かりやすい受診の目安の作成などについて議論してもらう」と述べた。何とこれが第一回目の専門家会議でした。

何とも遅すぎやしませんか。

16日の時点で、議論してもらう、ではなくて、もっと早期に、今すぐできる想定と対策、最悪の場合の想定と対策、ウイルスの想定特性と事実のデータからその防御、感染制御の担当組織の編成、など,現場を知る専門家に、教えを乞う謙虚さが必要だったのではないでしょうか。

未知の或いは猛毒のウイルス感染の一報から、ウイルス制圧までのシュミレーションと、システムの構築をすべきではなかったのでしょうか。適切にやっているというのでしょうが、結果は、適切にやっていないと言っています。この政権は何事もこのような感じです。

今度の感染症の初期対応に、政府全体としての功名心が見え隠れしているように思われてならないのです。

政権としてはこの問題をスマートに解決して、支持率アップにつなげたいと、思わなかったでしょうか。

厚労省としては、ここでうまく解決して、組織と官僚の力を見せつけたいとの、潜在的意識がないと言えたでしょうか。

現場を知る医師や、その他関係者の話や報道から、そんな感じがするのです。

一生懸命に危険を顧みず、頑張っている担当者や、感染してしまった担当者もおり、酷なことを言えないのですが、自分も含め誰でも持っている功名心には注意しなければなりません。

歴史や戦史を見てもトップや、指揮官の功名心が甚大な犠牲を生んだことは、否定できないでしょう。

謙虚さを持たない、その結果としての些細な言動や過ちが大きな失敗に繋がることは真理です。

どうも最初に専門家や、感染症の現場にくわしい人物たちを用意していないように感じていました。そしてつい何日か前に専門家会議を開くとか、感染研による検証などをしたいと言い出してきているので、やっぱりそうかと思いました。

感染研は優秀な人材がそろっていることは知っていますが、組織としては政治的判断をしそうに感じます。政府にずけずけ言えない組織や、有識者でなく、権力にも、国民にもずけずけ言えて忖度しない、現場や、研究でウイルスを扱う専門家を揃えて、意見を聞き公開することが肝要と思いますがどうでしょう。

人心を不安にさせるためと言って、うそやごまかしで済ませてはならないと思います。

それは、為政者の国民のためを思う心ではなく、自分自身のための理屈であろうと思います。真実を伝え、かつ国民を慌てさせない、落ち着かせることに、注力してほしいと思います。

3.11の震災やそれに伴う原発事故の処理について、「自民政権であれば、「あんなへま」はしなかった」(そのような意味だったと思いますが)、と言ったことを忘れてはならないでしょう。

もしかして、忘れていないからこそ、初期に政府独自で考えた方法と陣頭指揮で解決しなければならないと意気込んでしまったのかも知れません。

発した言葉は、何年もたってからでも形を変えてでも、発した者に戻ってくるものです。

 

新型肺炎対策素朴な疑問

素朴な疑問 ①

新型肺炎対策について、大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の問題です。

 

日本政府は初期段階で専門家のアドバイスをどれだけ受けたのだろうか

 

素人考えでも、船舶の中で感染爆発が起きないだろうか、心配しました。

なぜなら、全員を船室に留め置くこと、検査を受けても検査結果が出るまで、船室で待機する、の記事を見たからです。

大型クルーズ船の構造は知りませんが、船内は複雑な空気管が張り巡らされていて、客室からもつながり、排気管、空調ともつながっていることと想像できます。その様な構造の環境下で、感染から守ることは出来ないし、咳やくしゃみだけでなく、もし排せつ物からもウィルスが吐き出されるとなれば、客室トイレ、船内トイレからも飛沫体となって排気口を伝ってウィルスがまき散らされます。たとえ検査が陰性であっても、一定期間船室に留め置かれるようで、その間に感染する恐れもあるでしょう。

陰性だということで解放されても、新たな感染源になる恐れがあるのではないでしょうか。

仮に、船室に留め置くことが正しい処置であれば、以下の手を打つ必要があるのではないでしょうか。

1.初期対応として、各客室や他の船室、トイレなどの各排気口、空調にバイオハザード防止フィルターを設置する必要があったのではないか。

これが出来なければ、全員下船させての対応を国籍該当国とも協議して対応すべきではなかったのでしょうか。

政府の過信した新型肺炎対策と云われはしないか、人間のメンタル無視。人権無視の対応と、「おもてなしの国日本」を空虚に響かせないでしょうか。

 

素朴な疑問 ②

政府の発表や新聞などの報道についてです。

 

肝心なことをどれだけ伝えているのでしょうか。

 

報道などでは毎日、何人が新たに感染した。どこどこで何人亡くなった。感染経路は、、、、らしい。こればかり。専門家の話も出てくるが、ウィルス学専門家、研究者、感染制御学専門家、研究者としての統一した見解(統一しなくても良いが)が出てこないように感じます。

10年前に知ったことで、今どうかわかりませんが、通常の病院には感染制御専門の医師なり、担当者がいなくて、院内感染者が出た時に、看護師が医師より詳しくて指揮をとったということでした。

  • まず大切なのは、新型ウィルスについてのより正確な情報、正確な知識だと思います。

新聞記事にしてほしいものは、ウィルスの性質と防ぎ方の分かり易く正しい情報、知識です。

 

個人的には、必要以上に恐れることはないと思っています。

ウィルスは虫のように、自身の力では飛んだり走ったりできません。今好天が続いて空気が乾燥していますから、乾燥した塵埃や微粒子に乗ってウィルスが移動しやすいのではないでしょうか。全国的にしとしと雨が続いて、ウィルスの拡散が鈍り終息に向かってくれないかと思っています。ただこのウィルスは、今後常態化して、インフルエンザのような推移を取るような気がします。

事実であればですが、これまでの報道によると、インフルエンザに近い致死率のように思います。お亡くなりになった方にはお気の毒ですが、毎年多くの方がインフルエンザか、それが起因となって亡くなっているようです。このインフルエンザでは、どれだけ感染してどれだけ亡くなったか、今回のウィルスの様に日を追っての経過報道はありません。

初めてで、得体の知れない、目に見えない代物で必要以上に恐怖を感じるのだと思います。政府が慌てて、これ幸いと改憲の必要性にまで言及するのはどうかと思います。

今必要なのは、ウィルスの性質と感染症防衛策の分かり易く正しい知識と情報です

新聞に大きく、子供でも理解できるような説明を出してほしいと思います。

 

ウィルスの性質では現在までに程度把握されていることを説明してほしい。

例えば

◎熱に強いのか弱いのか(熱湯で滅菌なり、不活化できるのか)

◎アルコールでの清拭や噴霧で除去できるのか。

◎水分や湿気に強いのか弱いのか

◎飛沫体はくしゃみや席の場合でどのくらいの距離まで届くのか。

◎飛沫体はくしゃみや席の場合でどのくらいの距離で地面に落下するのか。

◎ウィルスは糞便で排泄されるのか。

◎抗ウィルス薬で少しでも増殖を抑えられるのか。

◎感染経路の特徴     など

感染症防衛策ではどの様にしたらよいか、説明してほしい。

例えば

◎家庭ではどの様にしたら良いか。

排せつ物にまでウィルスがいるとして、以下は素人が思い付いたことを記します。

  1. 帰宅したら、「手を洗う」。「うがいする」

うがいも飛沫になるからバシャッと吐かない、ゆっくり出す。

2.歯ブラシは他のものとぶつからない様に離す。

3.トイレを流すときは便器に蓋をして流す。

4.嘔吐物はティッシュを入れたポリ袋の中に吐く。しっかり縛って生ごみとして廃棄。

5.基本的にはインフルエンザ、肺炎、ノロウイルスと同様な対応を参考に。

その他

◎飲食店ではどの様な点にりゅういしたらよいか。

◎職場ではどの様な点に留意したらよいか。

◎学校生活ではどの様な点に気を付けるか。

◎旅行ではどの様な点に気を付けるか。

など、ウィルス学、免疫学、微生物学、感染制御学の専門家に詳しく且つ分かり易くまとめてもらい、責任ある新聞の活字でお願いしたいです。

毅然と高飛車(或いは傲岸不遜)の間  20190704記

ここ数年来の日本外交の態度について、「あれ、こんなこと言っていいのかな」と思うことが多くなってきた感じがしていました。また国(相手)によって、態度を変えすぎていないか、との印象も強くなってきました。それでも考えすぎかと思い、一年間、様子を見ていましたが、ますますひどくなっている様に思われます。どこを境に強くなったのか。
どうも2015年9月に安全保障法制が成立してから、ハッキリ出てきた感じがします。

・牽制という名の共同軍事演習。
・制裁、報復(経済的)、国交断絶などの勇ましい言葉使い。
・無視、拒絶見え見えの態度。
・IWC(国際捕鯨委員会)からの脱退、国連からの勧告無視、国連が無茶言ってる、の態度。
・日本の技術が一番優秀、なんでうちを使わないのよ、の態度。
・毅然とした態度と見えれば良いのですが、そうは見えません。
相手も内心でそうは取らないでしょう。
どう見ても高飛車というか、傲岸不遜の態度に見えてしょうがないのです。

この様な言葉、態度がとれる根拠は何でしょうか。
それは軍事力を背景とした力の保有ではないでしょうか。
そんなこと言うんだったら、いっちょ、ヤッタロウじゃないか。
それに俺っちの後ろにャア、怖い親分さんが控えていなさるんだぜ。
そんな空気が2015年から、日米同盟を連呼する中に見えてきている感じがしてなりません。昔であれば一戦覚悟(一戦も辞せず)の反応ではないでしょうか。

今は自分たちの思いのままにやっている、得意満面の状態でしょうか。
この様な態度の後に何があるのでしょう。

以上は今年の7月4日に表記の題で書いておいたものです。
私だけの思いかと思い、もう少し様子を見ようと思っていたところ、韓国問題で、あれよ、あれよと思う間に、急速に日韓関係が険悪になりました。それでもまだと思っていたところ、GSOMIAが破棄となりました。駆け足で進む感ありです。また28日の枝野代表の発言を目にして、一部ですが同じ考えを持っていると、勇気づけられ投稿することにしました。
枝野代表の発言は抜粋ですが、以下のものです。
2019/8/28の朝日新聞DIGITAL枝野幸男代表の発言から抜粋
GSOMIAをやめた、というのは、明らかにやり過ぎだ。それに対し毅然(きぜん)とする日本政府の対応はありだと思う。(略)、、、、ここに至る過程で、韓国大統領からは少し妥協の余地のあるようなことがあったにもかかわらず、いわゆる「上から目線」、特に河野太郎外相の対応は韓国を追い込んだ。責任は大きい。(略)、、、、、、筋が通っていることの主張は厳しくやるべきですよ。ですが、何も相手のプライドを傷つけるようなやり方でやるのは、明らかに外務大臣の外交の失敗でもあります。

ポチフクの見るところでは、河野外交の失敗と云うのではなく、全て日本の現政権の態度だと見えます。この態度が、日本国国民の態度になることを、恐れます。

令和の初夢 

天皇陛下が「退位礼正殿の儀」に臨まれたニュースをネットで見ました。

令和まであと数時間です。
今回の新元号名について、どうしても、為政者の描くシナリオに利用された、いやな感じが拭い去れません。「令和」ほど時の政権と権力者の利益のためにあからさまに政治利用された元号と皇位継承はあったのでしょうか。
新元号発表から選挙、東京オリンピック、改憲とその後までのシナリオを感じます。
従来の憲法を守らなかった政治家に限って、自分が主導した憲法を守るための細かい法律を作りそうな気がします。。
「令」=新憲法・軍令・細かな法令 の目論見 「和」=組織の和・協調 異論排除の目論見
令和は改元前から汚されてしまったのでしょうか。
それでも人知でははかり知れない、何らかの介在があり、人間のすることは、思った様には行かないものだと思います。
退位と即位の間に生じる時間の空白を利用して、令和の持つ意味合いをもう一度考えてみます。
教えてもらったことや、調べた事、当たり前の事実を基に、私の「令和の初夢」として、こんな時代になってほしいの願いを込めて、書き残してみる事にしました。

「令和の初夢」

夢を語る前に、文字の意味合いから考えたことを記します。(他の説もあると思いますが、ご参考までに。)
「平成」の元号が発表された時期、次のようなことを教えてもらいました。
・「平成とは、細いひもの上を、ヤジロベエ(弥次郎兵衛)が何とかかんとか渡ってゆくイメージ、不安定そうだが何とかかんとかやってゆく時代」
・「昭和とは、昭の字を分解してみると、日本の日と口、刀になる。昭和とは、日本の口元に刀を突き付けられて、和する時代。」
この後すぐに教えてくれた先生はお亡くなりになり、明治、大正の元号が持つ意味合いを聞けなくなりました。

今度は自分で文字の持つ本質を考えてみました。
「令」とは冠を付けた人の前に大勢が集まり跪いている様子、とあります。
「令」には美しいという意味合いがあると、云う方がありますが、象形文字の成り立ちから単純にみても、美しいという意味は出ていません。令和の「令」は文字の成り立ちから、命令、指令、司令、律令、法令、政令、令状、号令に派生したのではないかと思います。
美しいとはどこから出たのか、令嬢とか、令息とか、令室と云う言葉は、貴人の娘などに対する尊称、敬称で、美しいは直接関係ないのでありませんか。令月の令は美しい月に対する尊称ではないのでしょうか。美しいを持ってくるのは苦しい、決めた権力者の弁解の様に感じます。

元に戻ります。象形文字は、多分、帝の前で跪いて、話を聞いているいる様子を表している。
帝の前で跪き、直接話を聞ける人物たちは、一般庶民ではないでしょう。国民は多くが集まって帝の前に出ることはまずありえません。跪いている人物たちは、宰相、王、家臣団の上層部、だと思います。
今の日本では天皇陛下の御前で、総理大臣以下の閣僚、その他選ばれた人たちが前に出て、話が聞けます。天皇陛下は政治に関与できませんから、直接政治的判断、政治的感想をお伝えにはなれません。それでも天皇は日本国と国民統合の象徴です。現憲法の下に即位した現憲法を体現しようとする象徴天皇です。今までのように声高に改憲を叫ぶことが出来るでしょうか。
国民に改憲を選ばせ、新憲法の下に統制する「令」にはならないでしょう。

「令和」では政治家が平和憲法の前に跪き、平和憲法の中身を改めて吟味し、憲法の中の声を聞いて、真摯に憲法に立ち向かい、憲法を守ってゆく政策を打ち出さざるを得ない情勢になって行く。現平和憲法に初めて向かい合い、立ち向かう、これは憲法改正ではありません。
この平和憲法を今度こそ国内だけでなく、世界にも認識させ、覚悟をもって、憲法に沿った政策を実践して行く、その様な時代の始まりが「令和の時代」と思います。
(海外の方が日本の平和憲法を認識しているかも知れませんが。)

退位と即位の間に出来る空白
今上天皇退位→新天皇即位・改元の間に時間の空白が生じることについて、問題視している向きがあります。私はそんなことよりも、今回歴史上初めての退位と即位の間に出来る空白は、人知を超えて日本の為になるような気がします。政権利用で一度汚された「令和」が空白の無の中で浄化され、本来持っている時代の本質を入魂されるように思います。人知でははかり知れないものが介在します。神が与えた「間」でしょうか。
「ここから令和の初夢」
① 日本国民の目が覚める。
空白の時間(人知を超えた「間」)で何かが起こる。
この空白の時間で、ここ20年前からスローモーションのように緩やかに進行していた幾つもの現象が、数時間に圧縮した早回しによって普通の速さになって、何が起ころうとしているのか、起っていたのか目に見えるようになってくる。緩やかに進行していた独裁、緩やかに進行していた言論統制、緩やかに進行していた軍事大国化、緩やかに進行していた新種の搾取、緩やかに進行していた統制経済、緩やかに進行していた新種の支配層構築、緩やかに進行していた新種の差別、幾つもの忌まわしいことが、ハッキリと形を成してくる。
大体の国民は本当のところは気が付いていたと思いますが、改めて、なんだ、これは、日本は暴走していたんじゃないか。ぬるま湯のカエルの如く、知らぬ間に茹でダコになるところだった、ってことに気が付いてくる。
何か変だ。という意識が「令和」になったときから、潜在的意識として徐々に芽生えてくる。

② 日本が軌道修正される。
この空白の時間で、平成と云う時間のトンネルチューブが令和のトンネルチューブに直接つながっていない。今まで進んできた日本の政策、これからの予定で作業していた政策も、空中に浮遊している状態になり令和のトンネルチューブに入って決めた着地点に降りることが出来なくなる。平成の出口と令和の入口が近接している様に見えても、入り口までは無。形も重さも光も時間も空間も無い。この無を通過して入口に到達するのはどれだけか、またどの様に変化してしまったか誰にも分からない。うまく入口に吸い込まれても、軌道のポイントが切り替えられたように、進路を変える。これは神意による、「令和」のプレゼント。

③ 日本の信用を取り戻す。
時間の空白で、皇太子さまは紛れもなく現憲法下で現憲法の定めた象徴天皇としての初代となる。空白が無ければ、126代天皇、象徴天皇として3代目で、生まれながらの象徴天皇3代目と云えます。途切れたのであるから、初代と云える。平和憲法を護持する象徴天皇である。(法律、専門知識など関係なく書いていますのでご容赦)
天皇即位により「令和」となり、「令和」の持つ意味合いが歩き出す。
今の日本は、思っている以上に、諸外国から信用を無くしているのではないでしょうか。
新天皇は昭和、平成と約30年間ずつ、昭和天皇と、平成天皇と時代を国民と共に、共有してきました。1960年2月のお生まれですが、安保闘争激しい中でのお生まれです。
如何にして平和憲法を守る象徴天皇を体現するか御腐心なされるお姿をご覧になってきたことと思います。新天皇・国と国民統合の象徴・平和憲法との三位一体で日本の信用を取り戻す時代。

④ 昭和・平成・令和の繋がりが完成する。
・昭和時代は、戦乱敗戦の後に和して、平和憲法を手に入れた。(当時の政治家で民主主義を理解できる人がいなかった。よって日本の手で直接に民主憲法は作れない)
・平成時代は、憲法違反が堂々まかり通り、改憲の声大きく、軍事大国化も堂々と進む。
平和憲法が危機に陥った時代。
・天皇退位と即位に時間の空白が生まれ、その中で潜在的意識の中で日本の針路が変化する。
・令和時代は様々な要因が重なり、平和憲法が見直され、国民が心から自身の憲法とする、
平和憲法の九条を骨格とした本当の歩みが始まる時代となる。

「令和」の「令」とは、平和憲法とそれに沿った政策を進めること。
「令和」とは日本の敗戦で手に入れた平和憲法を基にして、日本と世界の平和を構築して行く時代となる。
以上が私の夢です。令和元年から憲法をちゃんと読もうと決めました。

新元号「令和」を考えた

本日新元号「令和」が発表されました。
まず、最初にお断りしておきますが、私は右翼ではありません。天皇崇拝者でもありませんから。
「令和」を最初に見た時の印象は、例の「美しい国」を意識し、国民を和合させるのに、今以上の沢山の法令をあみ出し、強制的に偽りの和を作り出す、為政者の意図を感じたのです。それでも思い直し、漢字の成り立ち、意味を調べて考えました。それからすると、冠を付けた人が民を多く集めて跪かせ、平和にして行く(和合して行く)時代。となるでしょうか。かなりこじ付け的で無理がありそうですが、そう考えないと「令」を美しいとする意味より、「させる、命令する」などの強制的恐ろしさを拭い去れません。

元号を用いるのは、天皇が空間と時間をも支配するとの表現がネットにありました。
私は少なくとも象徴天皇になられてからは、天皇が存命の間、或いは在位の間、国民と時間を共有するの意味と考えます。昭和では昭和天皇とその時代を共有し、平成では今上天皇と平成時代の30年を、令和では、皇太子殿下が天皇を継承してから、令和時代を共有し私達と共に生きて行くと考えています。ですので、令和の「令」は、象徴天皇であり政治には関わらないが、そのお姿から発揮される威徳、和やかさ、優しさ、寛容さに、日本の為政者、国民、他国家、他民族問わず、敬意を抱き、戦いを止めて、跪くように、常に平和に向かって和して行く時代になる、と考えたいと思います。
そうなる様に祈ります。

システム機能失調症

昨年から企業の不正が盛んに報道されています。
ここに来て日産のゴーン会長逮捕が大きなニュースになっています。
日産も含めこれまでは作る側の現場の不具合問題が主でした。
今度はトップの不正を含めた企業統治の不具合問題です。
ゴーン氏の問題はとうとう経営陣の不具合まで見せてきました。
ここでも感じられるのは、経営者層の無責任感の漂いです。

私が約18年前から感じるのは、政治も企業も含めての無責任さです。
この無責任の空気の漂いが政治や企業、また教育現場、学術現場にも
あるべきはずのシステムを運用させないか、或いは作っていないのではと思っています。

会社や組織で物事がうまく運ばない時、
システムがあるのか、ないのか、
あっても、何らかで、うまく機能していないのか
あっても、間違ったシステムなのか
システムがあっても、正しく運用されていないのか
システムが無視されているのかを見ると良いと思っています。
システムの運用が難しいのは、人間がつくり人間が運用するからです。
それを見せつけた、最たるものは、3.11の原発事故です。
それまでに、各原発で、大事に至らなかった事故や現象で
システムが正しく運用されていないのを見せていました。
小さな企業でも考えられない管理的ミスも見せていました。
ですから、原発稼働の世界一厳しい基準と言われても、そのまま受け取れません。
世界一の厳しい基準を基にしたシステムでも、運用が問題です。
人間はミスする生き物です。原発にはデーター不正で納品された部材が数多く使われています。

今までの企業の不正は、
バブル崩壊後のリストラによる現場熟練者、人手の減少も一因かもしれませんが、
私は、システム運用が不全に陥っている、システム機能失調症と捉えています。
国のトップから企業、教育機関のトップまでの無責任ぶり、
国のトップがシステム(憲法、法律含む)を無視、
或いは自分の都合の良いように運用させる
会社の管理システム(品質管理、生産管理、ISO、GMP、経理財務管理他)を無視、
品質、安全性よりも、利益、効率、生産性、納期を優先してしまった。

私も、効率、生産性、利益を追求していた人間です。
ですが、品質と安全性、衛生性を合わせて追及していました。
食品や薬品、医療に関連したものを作る以上当たり前の事です。
これは、創業者である父の「モノだけを作ろうと思うな、その中に専門的知識と、親切心を入れて作ろう」の制作者心得が基礎になります。

小さな会社では、不具合品は命とりに繋がります。
会社、経営者、家族も生活が吹っ飛ぶことに繋がります。
機械を、生産を止めたくないのが人情です。
生産停止の条件を決め、口酸っぱく教えて、
製品に、機械にその条件が見えたら生産を停止させました。

上場会社の社長が、会長が、いくら不具合を出そうと
いくら赤字を出そうと、破綻しようと、
形だけにみえる、頭下げてのごめんなさい。
国のトップがいくら失政しようと、災害で死者がでようと、
責任を取って、全財産投げだした話は、聞いたことがありません。
若い時、セミナーで、何から何まで社長の責任と教えられました。

ゴーンさんの様な問題はこれで終わりでしょうか
国内海外ともに、もう一段上の政治、企業のトップ層の不具合が
もっと大きなシステム機能失調症を晒してくるような気がします。

7月のセミナー&サロン

セミナー名  「知恵の時間」                                  題名 会社を発展させる後継者とは、その役割と知恵

日時: 2018年7月27日(金) 15時30分~19時35分

詳しくは  メニューの、セミナー&サロン情報で、ご確認ください。

会社を発展させる後継者とは

経済誌などに載る最近の情報は、大企業の様子や考えが多く、情報過多になり焦りが生じるだけで、さほど参考にはならないと考えた方が良いでしょう。身近な似たような環境に属した人物の経験、それも失敗した、迷った、こう行動して、こうなった、の「事実は小説より奇なり」の様な話がもっと参考になると思います。当セミナー講師の話は、小企業の社長として学んだことを中心に、誇張も脚色もなく、切れば血が出るような、真実、実体験の話です。そして、その話の中には、尽きなく湧き出る知恵の源泉があります。経営者として学習した森羅万象学と、実際の経営を土台として提供する、真実のセミナーです。

真実のセミナー 「知恵の時間」 のご案内

事業家人生で、経験する必要のないもの、それは倒産です。
倒産の原因は千差万別、倒産に至るまでのプロセスは、
虚実吉凶混迷の果て、「事実は小説より奇なり」
の現象が複雑に絡まります。
これらが、事業好調の中で、醸成されていることを、
また事業が不調だからと、頑張り過ぎないことを、
特に二代目の社長は、知っておいてください。

知恵のクリエイティブメソッド を手に入れて、                         ゆるぎないバトンタッチを

イベント内容

セミナー名  「知恵の時間」
題名:  会社を発展させる後継者とは、その役割と知恵
1.はじめの一歩
2.物事の捉え方(時代、予知、考え方
3.自分自身の捉え方
4.自社の捉え方
5.後継者が着手する最初の7ポイント
所要時間 150分前後 (15時30分~18時00分)

交流サロン
所要時間80分前後 (18時15分~19時35分)
※会員の抱える課題、悩みを話し合い確認しながら、解決に向けて
講師と一緒に参加者相互に勉強します。

   日時 2018年7月27日(金) 15時30分~19時35分 

料金  ¥32,400(税込)
定員 12名
募集期間 7月17日まで
場所 勉強カフェ池袋スタジオ
電話  03-6914-1259
豊島区南池袋2-19-4南池袋ビル2F
(池袋駅東口から徒歩約5分)         (https://www.benkyo-cafe.net/studio/ikebukuro)

※事前確認事項
自己啓発型、経営管理型セミナーではありません。
◎ポチフク俱楽部会員としての、入会金、年会費、
登録料など一切無料です。                              ◎セミナー申込完了と同時にポチフク俱楽部会員となります。